PCGS-SP61 20Centesimos:PCGS-SP62 5Pesos:PCGS-SP63 URUGUAY ウルグアイ Essai Proof Set in Gold 1930 建国100周年オリジナルケース付き with original case“Centenario de 1830 国章付き金文字エンボスあり” 10Centesimos: Proof AU~UNC
Description
PCGS-SP61 20Centesimos:PCGS-SP62 5Pesos:PCGS-SP63 URUGUAY ウルグアイ Essai Proof Set in Gold 1930 建国100周年オリジナルケース付き with original case“Centenario de 1830 国章付き金文字エンボスあり” 10Centesimos: Proof AU~UNC
Essai 10Centesimos in Gold KM-E10(KM-25type 18.47g) Essai 20Centesimos in Gold KM-E12(KM-26type 9.11g) Essai 5Pesos in Gold KM-E14(KM-27type 8.48g) 贈呈用金貨3種セット(この年はこの3種のみが流通貨として製造された) ポルトガルとスペインの係争地だったウルグアイ川東岸地域(バンダ・オリエンタル)は最終的にスペインのリオ・デ・ラ・プラタ副王領に編入された。モンテビデオはブエノスアイレスに続く第二の港として発展した。1810年のスペインからの独立戦争ではポルトガルの介入を招き1816年にはバンダ・オリエンタルはブラジルに併合された。その後は奪還を目指すアルゼンチンとの間でこの地域の独立戦争が続き、1828年にはイギリスの介入によりブラジルからウルグアイ・オリエンタル共和国として再独立を果たし1830年に正式に承認された。建国100周年を迎えた1930年当時ではウルグアイは南米で最も安定した民主主義国家として南米のスイスとも謳われる程の繁栄を享受し100周年を盛大に祝う事となる。実はウルグアイはサッカーが盛んで、1924年パリと28年アムステルダムと2大会続けてオリンピックでの優勝に輝いていた。しかしアマチュアリズムへの回帰の為に1932年ロサンゼルス大会ではサッカーは不採用と決まっており、FIFAは100周年記念事業でサッカースタジアムを建設するウルグアイにおいて国際大会をする提案をした。これが記念すべき第一回ワールドカップである。地区予選は無く全てのチームは招待ではあったが、当時は旅客機などは存在せず船旅の長距離移動でしかも世界恐慌の真っ只中でありアジアやアフリカ諸国は不参加で欧米のみの13か国にとどまった。それでも第一回大会は1930年7月にモンテビデオで開催され見事に自国優勝で幕を下ろした。それから今日に至るまでのワールドカップの伸長をみるにつけFIFAは悪条件の中で大会を成功させた開催国のウルグアイには背を向けて寝れないのである。ウルグアイは世界で一番貧乏な大統領で有名だっただけではない誇り高い国なのである。本プルーフセットはわずか60セットの製造に過ぎないが、ジュール・リメを含んだサッカー関係者にも贈呈されたかもしれないサッカーファンのコインコレクターには見逃すことのできない最高のヒストリカルレアの逸品 ⓇⓇ Proof AU~UNC