Lot 1090 

後漢(Eastern Han) 銀錠半截(150.76g) ”中元二年”(紀元5年)”考工所造”陰刻※(伝)民国11年(1922年) 山東省青州府東門外出土品 5本の内の1本内藤湖南(虎次郎)氏旧蔵品 元日本貨幣協会会長利光三津夫氏旧蔵品返品不可 要下見 Sold as is No returns美品

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Description 後漢(Eastern Han) 銀錠半截(150.76g) ”中元二年”(紀元5年)”考工所造”陰刻※(伝)民国11年(1922年) 山東省青州府東門外出土品 5本の内の1本内藤湖南(虎次郎)氏旧蔵品 元日本貨幣協会会長利光三津夫氏旧蔵品返品不可 要下見 Sold as is No returns美品

掲出の銀錠は「古貨幣夜話」(利光 三津夫著)第18話”中元二年の夢”に採りあげられた現品である。この品が日本に輸入されたのは大正11年(1922年)の頃で、大阪古銭雑誌社「古銭」(六の八)によると、それは山東省青州東門外出土という由来がつけられていたという。「中国歴史銀錠」(建立編)「中国銀鋌」(張恵信著)によれば、この時に出土した銀鋌は計5本で、その内訳は長方形が3本(内一本は完全品)、舟形が2本であり、中国の貨幣史専門家彭信威が2本ないし3本を所有し、残り2本が日本へ流出した。完全品の1本(403g)が東京国立博物館、半截の1本が東洋史学者の内藤湖南氏(1866〜1934)の所有に帰したという。5本の全てに”中元二年””考工所造”の文字が陰刻されていたが、極印は多少の差違が認められたという。この辺の事情は「古貨幣夜話」とほぼ一致しており、内藤湖南氏はこれを「漢中元二年銀幣」と名付け、後漢光武帝の鋳した銀幣であるとして、その著「宝左盒十二長物」に掲載せられたという。これに対して同じ東洋史家、加藤繁は自著「唐宋時代に於ける金銀の研究」において後漢の品ではないと断定している。その理由として氏は①後漢時代に銀錠は製造されていない②銀錠の状態、特に文字が鮮明すぎる③完全品の重量が時代に合わない等を挙げ、明代の銀錠に後人が極印を施した品と結論づけた。この辺の事情についても、異論反論も含め、利光三津夫氏の推理がさえる「古貨幣夜話」を是非、一読されることをお勧めする。生前の氏よりお聞きした話では、国立博物館に照会したところ、銀錠は戦後に行方不明になったとのこと。中国に残っているはずの3本も現在は行方不明であり、入手可能な品はこの1本のみ。いずれにせよ、”中元二年”は「後漢書倭伝」に倭奴国が朝貢し、光武帝より金印を賜った年。「古貨幣夜話」にあるように、もし同様の品が日本で出土されたら正真正銘の国宝になる。”夢”の拡がる一品です。                                据「中国历史银锭」「中国银铤」(张惠信著)记载,民国11年(1922年),山东省青州府东门外出土5条银锭,其中长方形3条(一条完整),船形2条。5条银锭上面都刻有 ”中元二年””考工所造”八字。中国货币史学者彭信威持有2,3条,另外2条流入日本。完整的一条(403g)现存东京国立博物馆,另有半截据传为东洋史学者内藤湖南所有。此半截银锭是日本「古貨幣夜話」(利光 三津夫著) 第18話”中元二年之夢”之中所记载的原物。售出不退。
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